ひとりでできるもん
一昨日の日記、年賀状が誰からも来なくて泣いていたみたいだけど、泣いてはいない。毎年あったことが、今年はなかったから、あ、そうなのか、という感じ。書店員をしていたころは、パソコンで作る年賀状ムックが大量に入荷するたび、パソコンで作るのなら、年賀状に印刷せず、メールに添付して送れば良いではないか、と思っていたくらいなのだ。
それに、今はメールではなく、ツイッタやフェイスブックなど、連絡先を知らない相手にも、新年の挨拶ができる時代である。年賀状を書くのが億劫になっても仕方がない。つい、あんなことを書いてしまったけれど、そこまで落ち込んではいない。本当だよ。
小学校時代の友達と書いたけど、付き合いがあったのは、小学校の3年間。2年生まではクラスが同じで、3年生になってから別れたものの、友達関係は続いていた。お泊り会というのか、互いの家に泊まることもあった。確かに、彼とは友達だった。けれど、3年生の終わり、4年生の始まりに、僕は引っ越しをすることになる。小学生が簡単に遊びに行ける距離ではない。携帯電話もパソコンもない時代である。そんな状況で、小学生が連絡を取れる手段といったら、手紙を送るしかない。即ち、文通である。
引っ越してからずっと、手紙と年賀状のやり取りをしていた。とはいうものの、頻繁にやり取りをしていたのは、最初の1年、2年くらいで、以降は、年賀状のみの交流が続いた。幸いなことに、小学校高学年、中学校では、僕にもそれなりの友達ができたので、数年も会っていない彼に対して、親しみがなくなっていくのも当然だった。年賀状を送るのも、中学生までだろう、と考えていたほど。
それが変わったのは、僕が高校を辞めてからである。高校で友達ができなかった、というだけあれば、そこまで落ち込むことはなかったのだけれど、高校で友達ができなかったために、同じ高校に進んだ中学校時代の友達が、僕から離れていったのである。これまで、僕のことを名前で読んでいた連中が、僕のことを名字で呼ぶようになったとき、僕の友達はいなくなったのだ。このことを、ブログに書くのは初めてだと思う。友達なんかいらない、人間なんて捨てても良い、と僕が考えるようになったのは、16歳当時の、このときの出来事が影響している。
今でこそ、友達がいなくても、ひとりでも大丈夫だと思えるようになったけど、当時は、とんでもなくきつかった。友達がいない。新しい友達ができず、古い友達は離れていった。僕はひとりになってしまった。以降、僕は毎日、弁当をひとりで食べるようになり、昼休みは図書室に入り浸るようになった。学園祭ではいないものとされ、クラスの出し物にも参加できなかった。クラスメイトに含まれなくなったのだ。
かといって、友達ができない、ひとりで悲しい、などと両親に相談できるはずもない。そんな中で思い出したのが、小学校時代の友達、交流は中学生までだろう、と考えていたことも忘れ、彼に縋りつき、突然の手紙を出したのだ。年賀状は出していたものの、手紙を送るのは数年振りだった。それにも拘わらず、彼は返事を書いてくれた。それが嬉しくて、僕はすぐさま返事を書いた。
結果的に、高校を辞めることになったけど、少なくとも、僕にはひとり友達がいる、そう考えることができたので、一時期のとんでもない落ち込みから脱出することができたのだ。高校を辞めたことや、大検を取ったこと、彼には隠さず手紙に書いて伝えた。どのような反応が返ってくるか不安だったけど、彼は僕がどのような状況であれ、友達だと書いてくれたし、僕が手紙を送ると、必ず返事を書いてくれた。
苦しいときの神頼みのような、僕が苦しいときに頼っただけの、一方的な関係だったのだ。僕が大学生になったとき、12年振りに再会したものの、以前のような手紙のやり取りは少なくなり、年に1度、年賀状でやり取りする状況に戻った。これも、僕がひとりでいることに慣れたこと、大学で、話せる程度の知り合いが、数人はできたことによる。結局のことろ、自分が苦しいときに、彼を頼っていただけなのだ。
要するに、年賀状が欲しければ、かつてのように手紙を書けという話。今では、携帯電話の番号やメールアドレスを知っているのだから、連絡を取ろうと思えば取れるのだ。それこそ、このブログのことを教えても良い。それをしないのは、生活が安定しないから、親との関係が戻らないから、落ち着いて近況を報告できないから、などと理由を付けているけれど、連絡をしていないのだから仕方がない。こちらから行動を起こさず、自分勝手に落ち込むなよ。
って、なんでこんなにも長々と書いているのか。それも、これまでに書いたことのない内容を含めて。
年末年始、仕事の決まった無職期間ということで、ここ数日は日記を公開していたけれど、それも今日でひと区切り。今後しばらくは、家計簿ブログのようになるかと。日記を目的に読んでくれる方が多いのだろうけど、「お金のような」カテゴリは、僕にとって役に立つのだから仕方がない。
たぶん、新しい仕事に慣れるまで、日記を書く余裕がない。今度こそ、これが最後で、ある程度の金額が貯まるまで、辞めることはできないのだ。落ち着くまでは無理だと思う。今日の日記は、本来書こうとしたものと違ってしまったけれど、とりあえず、日記はしばらく更新されません、という報告で終わりに。新年を迎えた僕は、こんな感じです。
人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。
それに、今はメールではなく、ツイッタやフェイスブックなど、連絡先を知らない相手にも、新年の挨拶ができる時代である。年賀状を書くのが億劫になっても仕方がない。つい、あんなことを書いてしまったけれど、そこまで落ち込んではいない。本当だよ。
小学校時代の友達と書いたけど、付き合いがあったのは、小学校の3年間。2年生まではクラスが同じで、3年生になってから別れたものの、友達関係は続いていた。お泊り会というのか、互いの家に泊まることもあった。確かに、彼とは友達だった。けれど、3年生の終わり、4年生の始まりに、僕は引っ越しをすることになる。小学生が簡単に遊びに行ける距離ではない。携帯電話もパソコンもない時代である。そんな状況で、小学生が連絡を取れる手段といったら、手紙を送るしかない。即ち、文通である。
引っ越してからずっと、手紙と年賀状のやり取りをしていた。とはいうものの、頻繁にやり取りをしていたのは、最初の1年、2年くらいで、以降は、年賀状のみの交流が続いた。幸いなことに、小学校高学年、中学校では、僕にもそれなりの友達ができたので、数年も会っていない彼に対して、親しみがなくなっていくのも当然だった。年賀状を送るのも、中学生までだろう、と考えていたほど。
それが変わったのは、僕が高校を辞めてからである。高校で友達ができなかった、というだけあれば、そこまで落ち込むことはなかったのだけれど、高校で友達ができなかったために、同じ高校に進んだ中学校時代の友達が、僕から離れていったのである。これまで、僕のことを名前で読んでいた連中が、僕のことを名字で呼ぶようになったとき、僕の友達はいなくなったのだ。このことを、ブログに書くのは初めてだと思う。友達なんかいらない、人間なんて捨てても良い、と僕が考えるようになったのは、16歳当時の、このときの出来事が影響している。
今でこそ、友達がいなくても、ひとりでも大丈夫だと思えるようになったけど、当時は、とんでもなくきつかった。友達がいない。新しい友達ができず、古い友達は離れていった。僕はひとりになってしまった。以降、僕は毎日、弁当をひとりで食べるようになり、昼休みは図書室に入り浸るようになった。学園祭ではいないものとされ、クラスの出し物にも参加できなかった。クラスメイトに含まれなくなったのだ。
かといって、友達ができない、ひとりで悲しい、などと両親に相談できるはずもない。そんな中で思い出したのが、小学校時代の友達、交流は中学生までだろう、と考えていたことも忘れ、彼に縋りつき、突然の手紙を出したのだ。年賀状は出していたものの、手紙を送るのは数年振りだった。それにも拘わらず、彼は返事を書いてくれた。それが嬉しくて、僕はすぐさま返事を書いた。
結果的に、高校を辞めることになったけど、少なくとも、僕にはひとり友達がいる、そう考えることができたので、一時期のとんでもない落ち込みから脱出することができたのだ。高校を辞めたことや、大検を取ったこと、彼には隠さず手紙に書いて伝えた。どのような反応が返ってくるか不安だったけど、彼は僕がどのような状況であれ、友達だと書いてくれたし、僕が手紙を送ると、必ず返事を書いてくれた。
苦しいときの神頼みのような、僕が苦しいときに頼っただけの、一方的な関係だったのだ。僕が大学生になったとき、12年振りに再会したものの、以前のような手紙のやり取りは少なくなり、年に1度、年賀状でやり取りする状況に戻った。これも、僕がひとりでいることに慣れたこと、大学で、話せる程度の知り合いが、数人はできたことによる。結局のことろ、自分が苦しいときに、彼を頼っていただけなのだ。
要するに、年賀状が欲しければ、かつてのように手紙を書けという話。今では、携帯電話の番号やメールアドレスを知っているのだから、連絡を取ろうと思えば取れるのだ。それこそ、このブログのことを教えても良い。それをしないのは、生活が安定しないから、親との関係が戻らないから、落ち着いて近況を報告できないから、などと理由を付けているけれど、連絡をしていないのだから仕方がない。こちらから行動を起こさず、自分勝手に落ち込むなよ。
って、なんでこんなにも長々と書いているのか。それも、これまでに書いたことのない内容を含めて。
年末年始、仕事の決まった無職期間ということで、ここ数日は日記を公開していたけれど、それも今日でひと区切り。今後しばらくは、家計簿ブログのようになるかと。日記を目的に読んでくれる方が多いのだろうけど、「お金のような」カテゴリは、僕にとって役に立つのだから仕方がない。
たぶん、新しい仕事に慣れるまで、日記を書く余裕がない。今度こそ、これが最後で、ある程度の金額が貯まるまで、辞めることはできないのだ。落ち着くまでは無理だと思う。今日の日記は、本来書こうとしたものと違ってしまったけれど、とりあえず、日記はしばらく更新されません、という報告で終わりに。新年を迎えた僕は、こんな感じです。
人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。


