サグラダ・ファミリア

 週に1度の日記を書かないのであれば、それでも構わないのだけど、遅れてでも書こうと思っていることは、遅くなればなるほど書きにくくなってしまう。書けなかった理由を、どうにかここで書いておこう。本来なら書くはずだった週日記は、更に先送りになるのだが(今更)。

 些細なことのひとつに、手の甲の傷というものがあって。最初は、どこで傷つけたのか解らなかったけど、仕事をしているうちに、この作業で怪我をしたのだろう検討がついた。もともと、大した傷ではなかったので、気にしなくても数日経てば治るはずだった。それがタイミングの悪いことに、急に暖かくなってきた時期と重なり、その日は工場もまだ暖房が入っていた。当然、そこまでの暑さを予想していなかったので(天気予報では雨が降るか降らないかしか見ないから)、長袖の作業服の下に、長袖のシャツと半袖の下着という、冬用の衣服で仕事を続けていた。そんな日に限って、今日はやけに暑いなと思いながら、残業をしていたのだ。
 指先が油に塗れる仕事なので、傷口に触れないよう、仕事をしながら治すという芸当が見事に失敗したわけである。詳しく書くと気持ち良いものではないので簡潔に説明すると、暑くて痒くて作業服の上から擦っているうちに、手の甲と両腕がとんでもないことになってしまった。ポーカーで譬えると、ツーペアだったはずが、ストレートフラッシュになってるぞ、なんてこったというような。
 それが3月18日くらいだから、前記事の数日後のことである。翌日、暑さで蒸れないため、長袖作業服の下に着る服を半袖に変えて、腕が蒸れないようにした。前日の暑さのせいか、この日から工場の暖房も入らなくなった。これで多少は快適に作業をすることができ、痛みや痒みのピークは今日で、あとは治る一方だ、と考えたため、土日休みに薬を買いに行くことをせず、水に濡らして、腕を冷やして対処していた。これは当然、休みで家にいるからできることで、仕事中にできることではない。
 翌週も、作業服の下に着る服を半袖にして、少しでも腕が蒸れない状態で作業をしていたはずだったけど、結果的にこれが間違いだったみたい。今週の火曜、左腕に赤みが増して、とんでなく腫れてしまった。さらには指先が膨れ、感覚がなくなってしまった。ポーカーで譬えると、ストレートフラッシュだったはずが、ファイブカードになってるぞ、なんてこったというような。
 これは不味い。さすがに不味い。病院に行けなくても(保険証がないので)、土日に薬を買っておくべきだったと悔やんだ。とてもではないが、仕事を続けられる状態ではなかったので、正直に話して早退させてもらうことにした。午前の仕事を終えて帰ったわけだが、当然、今の仕事では初めてのことである。
 とにかく薬を買わなければ。帰ってすぐに薬屋へ行くものの、どれを買えば良いのか解らない。傷薬が妥当なんだろうけど、それ以外にも、赤みに腫れに痒みにかぶれに痺れとひび割れ、わけの解らない状態になっていた。とりあえず、痒みとかぶれを抑える薬を買って、家に帰るとシャワーを浴びたあと、薬を塗って寝た。とにかく休まなければ。
 どうにか痺れと腫れは収まったものの、痛みは相変わらずだったので、翌日、仕事を休んだ。当然、これも、今の仕事では初めてのことである。寝ていて治るものではないだろうけど、仕事のできる状態ではなかったので、腕を洗って、薬を塗って、しばらく寝て、という繰り返しで過ごしていた。
 さすがに、病院へも行かないのに続けて休むわけにもいかず、その翌日から仕事へは行くことにしたのだが、腕の痛みが収まるまでは、残業をなしにしてもらうように頼んだ。仕事をしながら治さなければいけない以上、残業は状況を悪化させるだけでしかない。ここは、お金だどうのと考えず、引くところである。
 そして金曜、つまりは一昨日になって、症状が悪化した理由にようやく気づいた。油に塗れる作業だから、当然、作業服にも油が染みる。その下の服が長袖だったときは、染みた油が腕に届くことはなかったけれど、半袖に変えたせいで、腕に油が付いてしまったのではないかと。そりゃ、油が触れれば肌は荒れるし、傷は痛むし、悪化するのも当然である。
 傷が治るまで、作業服の下も長袖に戻した方が良い。長袖作業服の下に、長袖のシャツ、その下に半袖の下着という、冬用の衣服では暑いだろうと思ったものの、これは半袖の下着をやめて、作業服と長袖のシャツだけにすれば良いだけのこと。そして、昨日は新しく消毒液と傷薬を用意して、一時の痛みが嘘だったかのようなくらいに落ち着く状態にまで回復し、どうにかこの記事を書いている。
 このような理由で、土曜のブログ書きができなかった。最初の土日に薬を買いに行っておけば、1週早く回復しただろうけど、治る見込みが立っただけで良しとしよう。そんな感じだった、ここ数日の傷物語(こんなに長い記事になるはずではなかったんだが)。
お金がないから我慢しよう、というのは「我慢」なのか?

てんつき

 おかしいな。それなりに順調な生活のはずなのに、3月に入ってから土曜のブログ書きが守れていない。理由としては、物理的に書く時間が取れない、心理的に書く気が起こらない、のどちらかなんだけど。今週は、つまり昨日は、その両方だったような気がしないでもなくて。本来、気にしなくて良いようなことを気に掛ける性格のため、落ち込んだり悔やんだりすることが多いのだけど、どうしてこう、ひとつ片づいたら、新しくもうひとつ出てくるのか、みたいなことをぐるぐると。
 ただ、それも冷静に考えれば、ひとつ片づくことによって、別のもうひとつに目が向くだけで、次から次に厄介事が出てくるわけではない。例に上げるのは躊躇われるのだが、湾岸倉庫で働いているときは、アレに対してだけ、ムカついて、苛立って、腹立っているような気がしたけれど、些細な不備や不満ならその他にもあったはず。大きなムカつきがひとつあったから、小さなムカつきは気に掛ける余裕がない、これに比べれば他はどうでも良い、みたいな扱いになっていたのだろう。今更だけど、たぶんそう。
 今回の件は、仕事関係のことなんだけど。大きなムカつきではなく、些細な不備や不満が一斉にというか、続けて起こったため、なんだこれはなんなんだ、と怯えて慌ててしまったような感じ。小さな不備がひとつずつ、少しずつであれば、まあ、そんなこともある、と考える程度で、そこまで気にすることはなかっただろう。
 長々と書いているけれど、厄介な問題があったわけではない。それを客観的に判断しようと、ひとつずつブログに書こうとしたんだけど、いちいち書かなくても良いかな。などと、書いている途中で気持ちが変わっているのだ。まあ、書く気になって、機会があれば、書くことがあるかもしれないれど。冷静ではないときに、無理に書く必要はないだろう。
お金がないから我慢しよう、というのは「我慢」なのか?

日記

 日記に書くといくぶん楽になる、と彼は言う。しかし、文字に書くという行為は、その許せない事柄を記憶の中に再現して、さらに文字を刻みつけることになりはしないか。そんな<許せない!>ことの一日一日の積み重ねが、火山灰のように心に積り積もってゆくことになりはしないか。
(生きるヒント3/五木寛之)

 確かに、こんちくしょうと思ったことを書くこともあるけれど、基本的にはその日に起こった出来事を淡々と書いているだけ。ブログの場合は、人に読ませる前提があるので、小説のような、あるいは、エッセイのように書いてしまうのだが、僕だけが読む日記なのでそのような書き方はしていない。夕食。HD。のち読書。みたいな感じ。出来事の他に、買ったものや読んだ本なども記録しているので、家計簿や読書記録を含んだ日記のような(いい加減にやめろという話なんだが)。

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お金がないから我慢しよう、というのは「我慢」なのか?

残業ばかりの日

 2時間の残業ということは、単純に読書の時間が2時間減るということで。夕食や睡眠の時間は減らせないのでこれは仕方がない。定時に帰っていたときも、4時間きっちり読書ができたわけでもない。2時間なら2時間を、きっちり読書に使えば良い。無駄な時間は最小限に。

 というわけで、本来なら昨日書くはずだった週日記をここで書こう。たぶん、昨日書くはずだった内容とは違っているかもしれない。出来事自体は変わらないけど。それにしても、ブログを書こうという気持ちになったときに、書くための時間が取れなくなるとは。こういうどうでも良い不都合は面白い、と思えるくらいには余裕ができたのかもしれない。
 今週は残業続きの6連勤、と考えていたのだが、実際はそうではなくて。既に書いているけれど、水曜は定時上がりだった。月に何度か、ノー残業デーみたいな日があるみたい。また、土曜は社員が研修だかなんだかで午後から出掛けるため、僕の仕事は午前だけになった。月火と2日残業で、水が定時上がりでひと休み、木金と2日残業で、土が早上がりでひと休み、という1週間だった。
 土曜は3時間ほどしか仕事がないので、上司に休んでも良いと言われたのだが、残業続きの6連勤と考えていたから、早く終わるのはありがたいと出勤することにした。実際は、訊かれたときに迷ったのだけれど、下手に休みますと言って、やはり出勤しておこうと考え直すのが嫌だったので、余計なことを考えなくて済むよう、当初の予定通り、出勤しますと答えたのだ。途中で考えを変えると余り良くない。ということを、これまでの経験上薄らと解っていた。まあ、助かったと思ったのは本当である。次の6連勤はかなり先、そのときはきちんと頑張りましょう。

 土曜は早上がりだったので、午後からは休みのはずだったんだけど、あいにくの雨で。仕事帰りに日本橋へ寄って本を買っては来たものの、予定していた用事のいくつかができなくなってしまった。とりあえず、これだけは今日中に読んでおかなければ、という本があって(五木寛之の『生きるヒント 愛蔵版 全一巻』のことだけど)、それを読み終えて図書館の返却ポストへ返しに行く。
 その帰り、土曜出勤の外食代わりに、ほっともっとの新商品、『ソースかつ&焼肉コンビ弁当』『とりかつタル&しょうが焼コンビ弁当』と特製豚汁を2個買ってきて(ひとり暮らしだけれど)、それを食べながら録画番組を消化していたら、ブログを書く時間などなくなってしまった。買った漫画を読む時間もない。日記だけはどうにか書くことができた次第(ブログではなくて)。
 今日は今日で、いくつかの用事を済ませたのだが、それでも全部はできなくて。土曜の仕事が午前だけになったから、休みが増えたぞと思ったのも束の間、あいにくの雨で、結局は6連勤の1日休みと変わらなかったのではないかと。まあ、今回のような特殊な土曜は、年に2回か3回くらいしかないようだから、そこまで気にしなくても良いだろう。基本は、5連勤のち2連休、月に1度の6連勤。こちらのパタンに慣らしていけば良い。
 当然、昨日書く予定だった、派遣会社とのやり取り云々の記事は書けなくて。これは、おそらく来週の土曜に先送りということで。まあ、そんな感じで、なんとかぎりぎり日曜の公開。さすがに、明日の公開で、今週とか来週とか書くと、いつのことだか解りにくいし。最低限の読みやすさ、解りやすさだけは心掛けているつもりなのです。

 復旧。FC2ブログの検索機能が使えるようになったみたい。
お金がないから我慢しよう、というのは「我慢」なのか?

同治の思想

 死ぬしか道の無い者に生きろと言うのは、生きるしか道の無い者に死ねと言うのと同じである。死ぬ者に死んで良いと言う者こそ、本当の味方ではなかろうか。
(医と私と親鸞/駒沢勝)

 これまでに何度か書いているけれど。これが「同治」だ。こういう論文がネットで読めるとは、便利な時代になったものだなあ(今更)。
お金がないから我慢しよう、というのは「我慢」なのか?

これが普通だよ

 残業続きの毎日なので、定時で終わるととんでもなく早く帰れたと錯覚してしまう。よし、時間も早いし、今日は鍋を作ろう。って、違うだろ。早く帰れたわけでなく、これが定時なのだ。数日前までは、この時間に帰ってきていただろうに。明日から、また残業だ。うし、頑張りましょう。
お金がないから我慢しよう、というのは「我慢」なのか?

プライドなんか捨ててしまえ

 10月末にブログを中断して以降のことを簡単に書いておこう。
 採用された仕事に行かない、始めた仕事をすぐに辞めてしまう、そして酒をがーっと飲んでいるうちに、お金がなくなってしまった。3年前、1年前と同じく、これでもうお金を借りるのは最後にするからと親に頼み、小言や大言を散々言われはしたものの、11月末の家賃を借りてどうにか凌ぐことができた。採用の連絡を受けてから電話を掛けているのだ。 給料が入ればすぐに返せる、などと考えているものの、早々に辞めてしまい、途方に暮れることになる。

 プライドなんてどこにあるのか。そんなものは捨ててしまえ。頭を下げて金を借りるのではなく、頭を下げて実家で暮らせよ。そうすれば、たとえアルバイトでも、少しずつなら貯金ができるし、借金も返していける。自分の稼いだお金で帰りたい、なんてことは自分で稼いでから言えよ、という話である。実際、実家にいる妹が、散々親に金を借りておいて、今更なんの意地を張っているのか、みたいなことを言っていたようで。それはもっとも至極なんだけど、僕には僕の理由があるのだ。

 とにかく、次の仕事を探さないと。日払い、あるいは、週払い。少しでも早くお金が入るところへ。という考えで、拘束12時間、1日1万円以上の仕事を始めるのだが、わずか1日で音を上げてしまう。八方塞がり。詰んだ。どうしようもなくなってしまった。家賃を延滞して、仕事を探すことも考えたけど、仕事を探すお金自体がない。履歴書も買えない、会社まで行く費用がない。仕事を探すことさえできない。
 これではどうしようもないのだが、このままでいるわけにもいかない。金を貸してくれとは言えない、それでも母親に電話を掛けたのだ。仕事を辞めて、金もなくなってしまったと。以前にも頼んだことはあったけど、そのときは、2年は自分でなんとかして、次に頼んだあとも、1年は自分でなんとかしてきたのだ。わずか1カ月で同じような電話を掛けることになろうとは。余りにも早過ぎる。
 ただ、最終的には、本当にどうしようもなくなったら、親に頼ればなんとなる、みたいな甘えが残っているのは否めない。頼ったところで、どうにもならない、という状況だってあるというのに。この考えをなくせるくらいに仕事を続けるか、続けられるだろう自信をどこかで持たなければいけない。本当に、今度こそは。
 金を貸してくれとは言わないけれど、僕が電話を掛ける理由など他にないので、察してくれたようである。とはいえ、両親に金の余裕があるわけではない。小言や大言を散々言われたあとで、引っ越し代を振り込むからそれで帰ってこいと言われた。アパートを解約して、その他諸々の手続きをして。何年も前から解っていることだけど、アルバイトのひとり暮らしで貯金を増やすのは難しい。できる人もいるのだろうが、これまでの生活からすると、僕にはかなり難しい。
 実家から仕事に行くことができれば、それがアルバイトであっても、当然、親にはいくらか渡すにしても、これまで家賃や生活費に使っていた分を貯金に回すことができる。それはもう、何年も前から考えている。それができないのは、実家へ戻ったら、僕はもう、地元から出ることがないだろう、と思っているからだ。
 実家を出て以降、東京へ行ったり、京都へ行ったり、大阪へ行ったりしたけれど、地元に帰ったら、たぶん、それが最後になる。ひとり暮らしをするにしても、県外へ出ることはないだろう。ならばこそ、最低限、実家に戻るための金、その手続きの金、それらに必要な分だけは、どうしても自分で払っておきたい、という最後の意地があるのだ。その意地のせいで、少なくない額のお金を、親から借りていることも解っているのだけれど。
 つまり、12月末の家賃の支払いは、引っ越し代として振り込んでもらったお金を使っている。完全にあとがない状況。いろいろとしんど過ぎた、去年のクリスマスのことである。って、簡単に書くはずが、随分と長くなってしまった。それでも、同時期にあった派遣会社とのやり取りは省いたのだ。一緒に書くとごちゃごちゃになって良く解らなくなるので、そちらの方は別記事で書くことにする。
お金がないから我慢しよう、というのは「我慢」なのか?
あのねこながい。
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もぐさ。僕っ子(大嘘)

Author:もぐさ。僕っ子(大嘘)
30代フリーター。アルバイトで食いつないでいます。

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かくして借金返済の日々が始まる。
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