重なったって良いじゃない
これまでずっと、同じ内容を書かない、同じような記事が続かないようにしていたけれど。その縛りを外すことにした。というか、酒をやめよう、酒を減らそう、やはり飲んでしまった、みたいな記事をくり返して書いているのだ。今更、他の記事が重なったところでどうということもあるまじろ。そもそも、その縛りがあるせいで、書こうと思っても書けない記事が増えているのだ。
ブログを始めた当初は、ブログ書きに時間を費やしていたため、書こうと思った記事をすぐに書くことができた。書けない記事が増えることもない。今はブログ書きの時間を制限しているので──土曜の120分。追加しても、日曜の60分のみ──すべてを書けない以上、書く記事を選択することになる。
例えば。「A」という記事、Aの内容を踏まえた「B」の記事、AとBの内容を踏まえた「C」の記事が書ける状態だとして。もっとも新しい出来事の「C」を先に書こうと思っても、それを書くことができない。同じ内容を重ねないためには、「A」を最初に書いて、次に「B」を書いて、最後に「C」を書かなければいけなかった。けれど、書きたい記事は他にもあるので、「A」の記事を優先することが難しい。その結果、書きたくても書けない記事が増えてしまったのだ。
今後は、重ね書きを良いとする。といっても、重なる内容は最低限に。「C」の記事でAとBの説明をするときは触り程度にして、本格的な説明は「A」「B」それぞれの記事でする。これなら、「A」「B」を書いていないからといって、最新記事の「C」がまったく解らない、ということはなくなる。最低限の説明さえすれば、他の記事と繋がりを気にすることもない。内容に関係なく、書きたい記事を書けるのだ。
あるいは。「A」「B」「C」の記事をまとめて、「F」というひとつの記事にする。こちらは重ね書きというか、まとめ書きになるけれど(便宜上の記号なのでなんでも良いのだが。「F」は「fix」から)。「そして再びさだまさし」「そして三度さだまさし」で実践している。「傷物語(終)」も、こちらの書き方になるかと。
お前は何を言っているのか、と思われそうだけど、僕にとってはブログを書く上で、かなり気に掛けている問題だったのだ。って、あれ。考えてみれば、ブログをいつ書くか、ブログをどうやって書くか、という記事もくり返し書いているような( ゚д゚)ポカーン ともあれ。重ね書きを可としたことで。これからはがつがつ記事を書いていくことができる。よし、書くぜ。
それが、実弾だ。生活に打ち込む、本物の力。
ブログを始めた当初は、ブログ書きに時間を費やしていたため、書こうと思った記事をすぐに書くことができた。書けない記事が増えることもない。今はブログ書きの時間を制限しているので──土曜の120分。追加しても、日曜の60分のみ──すべてを書けない以上、書く記事を選択することになる。
例えば。「A」という記事、Aの内容を踏まえた「B」の記事、AとBの内容を踏まえた「C」の記事が書ける状態だとして。もっとも新しい出来事の「C」を先に書こうと思っても、それを書くことができない。同じ内容を重ねないためには、「A」を最初に書いて、次に「B」を書いて、最後に「C」を書かなければいけなかった。けれど、書きたい記事は他にもあるので、「A」の記事を優先することが難しい。その結果、書きたくても書けない記事が増えてしまったのだ。
今後は、重ね書きを良いとする。といっても、重なる内容は最低限に。「C」の記事でAとBの説明をするときは触り程度にして、本格的な説明は「A」「B」それぞれの記事でする。これなら、「A」「B」を書いていないからといって、最新記事の「C」がまったく解らない、ということはなくなる。最低限の説明さえすれば、他の記事と繋がりを気にすることもない。内容に関係なく、書きたい記事を書けるのだ。
あるいは。「A」「B」「C」の記事をまとめて、「F」というひとつの記事にする。こちらは重ね書きというか、まとめ書きになるけれど(便宜上の記号なのでなんでも良いのだが。「F」は「fix」から)。「そして再びさだまさし」「そして三度さだまさし」で実践している。「傷物語(終)」も、こちらの書き方になるかと。
お前は何を言っているのか、と思われそうだけど、僕にとってはブログを書く上で、かなり気に掛けている問題だったのだ。って、あれ。考えてみれば、ブログをいつ書くか、ブログをどうやって書くか、という記事もくり返し書いているような( ゚д゚)ポカーン ともあれ。重ね書きを可としたことで。これからはがつがつ記事を書いていくことができる。よし、書くぜ。
それが、実弾だ。生活に打ち込む、本物の力。


